嗚呼、地獄の親知らず抜歯!!
※『デイリーポータルZ』の自由ポータルZにて入選を頂きました!
先日、生まれて初めて「親知らず」を抜いた。
たいへんと聞いてはいたが想像の十倍のつらさ。いまだに思い出すと震えがくる。なにしろ親知らず1本を抜くのに、歯科医3人がかりで2時間半かかったのだ。
そして、歯は8つに砕かれてようやく抜けた。
これは1本の親知らずが抜けるまでの壮絶な記録だ。
若き女歯科医との出会い
「歯医者ってもしや、家から近いほうが楽?」と当たり前のことに最近気がついた。
そこで、家から2分の歯医者でクリーニングをしてもらったら、感じが良くて歯もピカピカになった(初めて行く歯医者はクリーニングで様子を見るのがオススメ)。
担当は若い女性の歯科医さん。女性に診てもらうのは初めて。この記事には3人の歯科医が登場するため、ここでは「乙女先生」と呼ばせていただく。
レントゲンを撮ったら虫歯が見つかり、翌週にはそれも治してもらった。その歯は詰め物の状態がいまいちでずっとストレスだったのだが、それを乙女先生は良い感じにあっさり治してくれた。
(この先生もしかして……かなり腕が良い?)
ピカピカになった歯を鏡で見ながらそう思った。そして、先生の「この左下の親知らずは抜いたほうが良いかもしれないですね」という話に静かに耳をかたむけた。
抜くなら今しかない
レントゲン写真には、不思議くらい斜めに生えた親知らずがクッキリ写っていた。
斜めなだけでなく、となりにグイグイと圧をかけて、押された部分はくぼんで見える。素人の目にも、親知らずを残すメリットはなさそうだ。
「ほうっておくと、虫歯や歯周病になる可能性が高いです」
「そうなると治療がむずかしいので、抜くことをオススメしますよ」
以前から歯医者でこう言われ、そのたびに断ってきたが、今回はちがう。頼れる歯科医が目の前にいるし、マスク生活が基本の今なら顔がはれても気にならない。
とにかく抜いて悪いことはないだろうし覚悟を決めた。とはいえ、斜めにはえた親知らずは簡単に抜けないはず。一応、先生に聞いてみた。
「スポッてわけにはいかないですよね?」
「スポッてわけにはいかないですね」
ガーンだな……。
どうやら歯を割ってから抜くそうだ。メロスは歯の割りかたがわからぬ。
わからぬ治療がおそろしいが、「麻酔をかけるので抜歯自体は痛くないです。麻酔が切れてからのほうが大変かもしれないですね」とのこと。なるほど、帰ってから痛いぶんにはどうとでもなる。では、来週の水曜にお願いします!
それにしても、あれほどまでにスポッといかないとは……。
動け、CTスキャン!
抜歯当日。しずかな待合室に一人でいると、昨日ネットでうっかり能動的に見てしまった「抜歯に失敗するとアゴが数年マヒします」の一文が脳裏をよぎる。
歯の下には大きな神経があって、これが傷つくとなかなか大変なことになるらしい。
それを避けるため最近では、CTスキャンで歯と神経の位置関係を立体的に把握してから治療するのが普通とのこと(じゃあCTが出来る前は……?おえっ……)。
恐怖にもだえていると名前をよばれ、やはりCTスキャンの流れに。
撮影用ルームで頭を固定され、指示通り目を閉じてジッと待つもなにも始まらない。目を開けるわけにもいかずオロオロしていると、スタッフさんが飛んできた。
「すみませ~ん! CTスキャンが動かなくって!」
ちょいまって。
一瞬「アゴマヒ」を覚悟したが、数分後には動くようになり、撮影も問題なく終わった。おどかさないでくれ~!!!!!
神経の位置は歯から離れていて問題ないそうだ。ここが一番不安だったのでホッとした。 あとは麻酔を打って抜歯するのみ!!
乙女先生、奮闘す
14時に始まって今20分過ぎたから、15時には終わるはず。
乙女先生もそう思っていただろう。斜めの親知らず抜歯はめずらしくはないはずだ。
だが甘かった。戦場にむかう列車から「クリスマスには帰るよ!」とママに手をふった、第一次世界大戦の兵士くらい甘かった。
いよいよ施術スタート。まずは麻酔の注射。
歯茎がチクッとして、しばらくすると左ほほの感覚がぼんやりしてくる。
そして歯を削る。痛みはなくガガガガ……という振動だけが伝わってくる。麻酔のせいではっきりとはわからないが、抜歯用のペンチでつかみやすいように「くぼみ」を作ってるんだろうな……と想像していた。
「削り」が終わったようで「抜き」に入る。ここまで痛みがほとんどなくホッとした。
乙女先生が抜歯鉗子を使い、歯をグイグイとひっぱる。
だが何度やっても抜けない。痛みこそないが、こちらもアゴに力が入るため楽ではない。ためしにみなさんも、奥歯を強めの力で1分ほどグイグイやってみよう。政治や経済が頭から出ていくはずだ。
歯を削る。ひっぱる。抜けない。
歯をすこし削る。ひっぱる。抜けない。
歯をさらに削る。ひっぱる。抜けない。
削り&ひっぱりが繰り返される。
それにしても「抜こうとしても抜けない歯」というのは何なのだろう? なぜ抜けないのだろう? スポッと抜くために削ったんじゃないのか。
「ふんっ」「むっ」と先生がりきむ声が聞こえるが、それでも親知らずは抜けなかった。
エース、出撃す
ひきつづきグイグイされていると、ふいに頭の向こうがわで声が聞こえた。
「15時から次の――――」
どうやらスタッフが乙女先生につぎの予定を話しているようだ。やはり15時には終わるはずだったのか。もうしわけなさはあるが、僕に出来るのはアゴに力を入れることと、痛かったときに左手をあげることくらいだ。
先生はさらにがんばるが親知らずは抜けない。このころから脳裏に童話『おおきなかぶ』があらわれては消えるようになる。※冗談のようですが本当です
そしてここで乙女先生がタイムアップとなった。さすがに次の患者さんを待たせすぎた。かわりに、40歳くらいの落ちついた男の先生がやってきた。そして、親知らずを見るなり「あ~、なるほどね」とソフトボイス。
小学生の弟に「この問題わかんないんだけど……」と宿題を見せられたときの声だ。
さてはこの先生……エースだな? エース先生、僕のカブを抜いてください! 抜けたら半分さしあげますので!!
男性のほうが女性より力があるだろうし、これで抜けるともちろん思っていた。
痛みとは何か?
さっそくエース先生による施術が始まった。といっても、ガリガリグイグイの繰り返し。そして時折、ガリガリ中にするどい痛みが走るようになる。削りが深くなっているということだろうか?
痛みをうったえると麻酔が追加され、グイグイタイム。先生が男性に代わったことで、アゴにかかる力も強まり、こちらの疲労もすごい。全身に汗がにじむ。
力のある男性がいくら力を込めても抜けない歯、一体どういうことなのだろう? それと、登場時の「あ~、なるほどね」は何だったんだ……。
このあたりから「痛みとは何か?」ということを考え始めた。
歯を抜こうとする強い力、これもふつうに考えたらめちゃくちゃに痛いのだ。あばら骨をかなり強めに押したら雰囲気は近い。
痛い。しかし歯を削ったときのするどい痛みとはちがって、ガマンできないわけではない。「痛かったらガマンせずに手を挙げてくださいね」と言われるが、グイグイのたびに麻酔を打ってもらうわけにもいかない。痛いけど痛くない。これは痛みではない。
やがて僕は、痛みについて考えるのを止めた――――
院長先生登場!
エース先生が四苦八苦してかなりたったころ、ふいに「どんな感じかな?」とまたべつの声が聞こえた。涙目をうすく開けると、やさしい雰囲気のおじさん歯科医が立っている。
60歳くらいだろうか? そのたたずまいからして院長先生か。エース先生と少し会話をし、口をのぞきこむなりこう言った。
「あ~、頭だけ取れてるんだね」
頭だけ……取れてるんだね……?
「綺麗な指してたんだね」はJAYWALKの『何も言えなくて…夏』だっけ……?
麻酔と痛みのダメージで頭が働かないが、これまでの激闘で「親知らずの上半分がすでになくなった」ことだけは僕にもわかった。
「抜歯でこうなっちゃ終わりじゃねw」というギャルの笑い声が聞こえるようだ。
それにしても、取れた頭はどこへ……? 削られて粉になったのだろうか? わからないが、よくないことはわかる。だって「頭部分をつかんで抜く」のが一般的な抜歯では!? その頭がないんじゃ泥試合というか、あとはもう地獄しかないだろう。
頭がおれたネジが頭に浮かんだ。大きなカブは葉っぱだけちぎれた。帰りたい。
骨が太っている……?
ここからは院長先生が担当してくれることになった。やはり最終的にたよれるのは経験だ。院長先生、もうなんでもいいからよろしくお願いします……!
そして、あらためてレントゲンを撮りなおすことになった。「これだけ抜けないのは普通ではない」と考えたのだろう。回り道がけっきょく一番の近道ということは多い。さすがは院長先生。
そしてレントゲンによってわかったのが、「骨が太っている」ということ。
頭がとれるまえの写真に補助線を入れると、歯の左がコブのようにふくらんでいるのがわかる。これが引っかかって抜けなかったのか。
原因はわかった。だが、やることはガリガリ&グイグイなことに変わりないらしい。ここからまた地獄がはじまる。
ふと上アゴに何かがカツンとぶつかった。これがなんと、ちいさく砕けた砕けた歯。「あ、それ出しちゃってもらえますか」と言われ、うがいスペースにその歯を出す。地獄では欠けた歯にわかれをつげる時間もない。
長時間の戦いになったことで序盤の麻酔が切れて、さらに麻酔を追加。このあとにも歯科助手さんが「麻酔しますか?」と院長先生に言ってくれたが、「いや、もうだいぶ使ってるからね……」と却下された。このころになると僕はずっと涙を流していた。
そしてようやく
あばら角材で押されるような痛みが続くなか、院長先生の「もうすこし!!」という声が聞こえた。そしてつづけて「……はい取れた!!!」の声。
それを聞いても、抜けた感覚がなくて何がどうなったのかわからない。しかし、どうやら本当に抜けたらしい。脱力し大きく息をつく。そんな僕に院長先生がこう言った。
「じゃあ、歯茎をぬいますね~」
え……聞いてない……待ってください……うおーーーん!!!
うろたえる僕をよそに、呪うヒマも痛みもなくすぐに終わった。あっけなさに全身の力が抜ける。ぬっておくと回復が速まるそうだ。
その後は起き上がらせてもらい、脱脂綿をかんで止血。歯科助手のおばさんが「長い時間おつかれさまでした」と声をかけてくれる。涙をふいていると、ふと横の台が目に入る。そこにはなんと、砕けた歯が無造作におかれている。
途中で抜けたちいさいカケラと最後の部分は把握していたが、こんなにも細かくバラバラにされていたとは……。
「これってもらえますか?」と聞いてみると、「いいですよ~」とやさしい返事。消毒液の入った紙コップに歯を入れて殺菌してくれた。しばらくするとコップからあふれそうなほどの泡が立ち、おばさんはそれを見て「まぁ!」と笑った(なぜ?)。
時計を見るともうすぐ16時半。開始から2時間半がたとうとしていた。
嗚呼、親知らずよ
冒頭にも書いたが、帰宅後に歯を見てみると大小8つに割れていた。
つらさ自慢をするわけではないが、この数は相当なのではないだろうか……? 体験談をさがしてみても、2つや3つに割った話やメスで切った話はあっても8つはない。
削られた部分も多いようで、立体パズルのように組み合わせることは出来なかった。
その後の話
麻酔が切れるとかなり痛んだ。施術中とは違う「傷」の痛みという感じだ。これが続くとキツいな……と思って痛み止めを飲むと、疲れがひどかったのか薬が効くまえにベッドにたおれこんで寝てしまった。
目を覚ますと痛みはだいぶ治まっていた。顔を右にかたむけ、ゆっくり麦茶を飲んでみると、むき出しの神経をつねられているかのような激痛が左アゴに走った。
翌日気づいたことだが、唇の両端が切れていた。長時間に渡って口を大きくあけたせいだ。これが地味に辛かった。
また、唇の裏側が白くなってベロリと剥けた。これも口を長時間あけていたことで乾いたのが原因だろう。色んな余波があるものだ……。
顔はほとんど腫れなかった。抜くのに苦労した人ほど腫れると聞いていていたが、パッと見では分からないくらいで済んで良かった。
一週間後には抜歯も終了。痛みはだいぶ和らいだが、鏡で見ると穴がぽっかり空いていて恐ろしい。この穴には柔らかくなった粒ガムが簡単に納まった。数ヶ月かけて閉じていくそうだ。
最後になったが、3人の先生には感謝をつたえたい。どの先生も穏やかで、抜歯は本当に大変だったがマイナスの感情は無い。またお世話になるだろう。
それでは、皆さんも歯は大切にしましょう!
END