大うし展

のんびりと草など食べています

小学二年で亡くなった友達・定松くんのこと

急逝してしまった友人

今回は、小学二年生のときに突然亡くなってしまった友人、定松ツヨシくん(仮名)について書きたい。あまりに時が経ちすぎて忘れていることも多いが、明日にはもっと忘れてしまう。なるべく思い出しながら書いていこう。

 

定松くんとは小学一年生のときに同じクラスで出会った。雰囲気を例えるなら……少しジャイアンっぽいかもしれない。ただしイジメっ子というわけではない。丸顔に弾ける笑顔が似合う元気そうな見た目で、実際に元気な子供だった。

遊ぶようになったきっかけは覚えていないが、僕らは学校でも放課後でもいっしょによく遊んだ。大勢でも遊んだし、二人で遊ぶこともあった。

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僕らが通った母校。校舎の色や耐震補強など昔と変わった部分も多い

僕の家から定松くんの家までは1kmほどあり、国道の横断歩道を渡る必要もあって、徒歩の一年生が一人で行くには少し不安だ。それでもめげずに遊びに行くことがあった。

定松くんの家はいわゆる"借家"で、小ぢんまりとしていた。少し薄暗いその借家の中で、僕は初めて「テレビゲーム」というものに出会う。

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こういう感じの借家だった。1DKくらいの間取りだと思う。

残念ながらそのとき遊んだゲームソフトは覚えていないのだが、 定松くんの指の動きに合わせてテレビの中で動き回るキャラクターに一発で魅了されたのは確かだ。

なぜなら、じきに僕の家にも任天堂のテレビゲームがやってきたからだ。きっと僕が親に熱烈なおねだりをしたのだろう。そして、大人になった僕はゲーム業界の片隅で働くようになる。

もちろん、定松くんの家で出会わなくてもゲームとは出会っていただろう。でも最初の体験というのは強烈なものだ。だから僕はゲーム会社で働く自分の人生を振り返ると、いつも定松くんを思い出して「ありがとね」と心の中でつぶやく。彼との出会いがあったから今の自分があると思っている。

 

クラス替えと運動会の横断幕

二年生になるとクラス替えがあり、僕らはクラスが別々になった。子供の友情というのはドライで、そうなると定松くんとはパッタリ遊ばなくなった。お互いに悪気など無くて、新しい友達と遊ぶのに忙しかっただけだろう。そんな僕らは意外な形で再開する。

運動会に各クラスで横断幕を用意するということになり、各クラスから絵のうまい男女が1人ずつ(数人ずつだったかも?)が集められて、僕も定松くんもその中にいたのだ。運動会は9月の終わりだから、二学期が始まったばかりで残暑の厳しいころだったろう。

クラスが違ったせいか、その場では定松くんともほとんど話さなかった気がする。ただ顔合わせのときにお互い「あっ!」くらいは言ったかもしれない。

僕ら選抜メンバーは放課後ひとつの教室に集まり、模造紙を広げては運動会をテーマに絵を描き進め……ていたと思うが、ほとんど記憶がない。

覚えているのは、数回目の集まりのとき、定松くんが急な頭痛で早退したことだけだ。

 

突然の別れ

その日、みんなが模造紙に向かっていると突然、「うう……」という苦しそうな声が聞こえた。声のほうを見ると、定松くんが頭を抱えて苦しそうにしている。そしてすぐに先生に連れられて教室を出ていった。

「どうしたんだろう?」とは思ったがそれだけだった。目の前には描きかけの模造紙が広がっていたし、彼が自分の足で歩いているのを見て安心したのかもしれない。

しかし、定松くんが教室に戻ってくることはなかった。大人に支えられながらゆっくりと校門を出ていく後ろ姿を教室の窓から見たような気もするが、後から捏造された記憶かもしれない。

とにかく、その日が定松くんとの永遠の別れの日となった。

 

その後、自分が描いたはずの横断幕がどうなったか覚えていないし、運動会の記憶もない。定松くんの死を伝えてくれたのが、先生だったか同級生だったか、あるいは母親だったのかも覚えていない。

じっさいに倒れるところを見たなら印象も記憶も違っていたと思う。だが定松くんは歩いて目の前から姿を消し、そのまま天国に行ってしまった。その死について想いを巡らせるには僕はあまりに幼く、やがて定松くんを想う機会は無くなっていった。

 

定松くんの妹

あっという間に僕は中学三年生になった。そして、弟の同級生に定松くんの妹・ミヨコちゃん(仮名)がいることを偶然知る。

二歳下の弟に小学校の卒業アルバムを見せてもらうと、ミヨコちゃんの明るい性格が写真や作文から伝わってきた。友達も多いようで少しホッとした。

 

しかし、ミヨコちゃんを中学校で見かけるのは苦しかった。それは僕が定松くんが死に向かう姿を目にした数少ない一人で、彼を見殺しにしたような罪悪感を心の奥底に持っていたからだった。

あの時の様子を伝えたほうがいいのか。いや、傷をえぐるだけか。でも伝えられる人間は少ない。……迷ったが結局何も出来なかった。

素敵なお兄さんだった。昔遊べて楽しかった。そんなポジティブな話だけでも伝えたかったが、それも出来なかった。

いっそ自宅を訪ねて、仲良く出来て遊べて嬉しかったことをご両親に伝えようかとも思った。しかし、やっぱりそれも出来なかった。

そうこうしているうちに中学を卒業した。

 

そして、大人になり……

やがて僕は、地元の埼玉を離れて東京で暮らすようになった。そして紆余曲折の末に子供のころから就きたかったゲーム業界で働くようになる。

楽しいこともあったし、もちろん苦しいこともあったが、ある程度は自分に向いている仕事という気がしている。改めて定松くんには感謝だ。

 

大人になってから数年に一度、地元で大小様々な規模の同窓会が開かれた。わりと毎回参加をしたが、誰の口からも定松くんの名前が出ることは無かった。

楽しい場だから重たい話を避けたのかもしれないし、単純にみんなが定松くんのことを知らないか忘れているということも考えられる。

何しろ大昔のことだし、生死に関係なく忘れてしまった同級生もたくさんいるだろう。小二のころの集合写真を見ても、何割の名前を当てられるか自信が無い。

でも、次に同窓会に参加したときはみんなに定松くんの話をしてみようと思う。僕に出来ることはそのくらいだ。彼だって話題に上ったほうが嬉しいだろう。でも僕のこと覚えてるかな……?

もしかしたら勢いで、お線香を上げさせてもらいに行こう! みたいな話にもなるかもしれないがそれはそれで悪くない。ぜひとも行きたい。

亡くなってしまった友達を想い、今の幸せを噛みしめてこれからも何となく生きていけたらと思う。

 

END