大うし展

のんびりと草など食べています

東京都三鷹市・人見街道の高田技師 殉職慰霊碑

今回は、東京都三鷹市のとある坂にひっそりと建つ慰霊碑の話をしたい。

 

三鷹市の南部を東西に走る「東八道路」を西に進むと、もうすぐ野川公園というあたりで基督教大裏門というX字の交差点にさしかかる。

この交差点を南西に進むと300m以上もくだり坂が続く。これは「人見街道」といって(別名・都道110号線府中三鷹線)、三鷹市をぬけて府中市へと続く道路だ。

f:id:CHIKUWA_USHI:20210128160118p:plain

直線のくだり坂が300mほど続いたあと、野川をまたいで府中市に入る。

この急坂の途中に、ひっそりと石碑が建っている。

行き交う人は登ること降りることに意識が向いており、顔を向ける人はめったにいない。石碑があることすら気づいていない人も多いかもしれない。

右手に見える黒く四角いものが石碑。とくに夏場は周囲の草が生い茂って目立たない。

f:id:CHIKUWA_USHI:20210128160111p:plain

一段奥まったところにあり意外と存在に気づかない。横幅60cmほどだろうか?

石碑には「高田技師 殉職 慰霊碑」と彫られている。その下の文を読むと、この道路を作る工事中に発生した事故で殉職した高田技師に哀悼の意をこめて建てられた碑だとわかる。この文を文字起こししてみた(読みやすさのため改行位置は調整)。

高田技師 殉職 慰霊碑
高田みのる(※)君は、島根県に生まる。
昭和31年10月東京都に奉職。同39年4月技師に補せらる。
君は積極果敢の人で、進んで困難な仕事にあたり、
三鷹都市計画街路1・2・1号線新設及び
主要地方道14号線改修の工事に際しては、
設計及び工事監督主任技師として昼夜の別なく
よくその現場を統括し工事進捗に鋭意努力を重ねていた。
偶々工事監督中、不慮の事故により
昭和41年2月2日当現場において殉職す。
時に年令29歳。嗚呼悲しい哉。
有志相集いここに君の功績を賛え、この碑を建つ。
東京都建設局長 石井興良
※「みのる」は、しめす偏に念

 

昭和41年に享年29歳ということは昭和11年生まれか。昭和31年、二十歳で東京都の職員になり、39年には技師になったとのこと。「技師」というと今では各種技術者やエンジニアを指すが、Wikipediaによると戦前は内閣任命の高等官のことを指したそうだ。高田技師についても「工事監督主任」という肩書きから高等官の意味のほうがしっくりきそうだ。

積極果敢で進んで困難な仕事にあたる、鋭意努力の人であった高田技師は、昭和41年2月に工事中の不慮の事故で亡くなってしまう。有志によって慰霊碑が建てられたとのことで人望の厚さが伝わってくる。

 

ここでふと、三浦綾子の小説『塩狩峠』の主人公・永野信夫を思い出した。この物語は、実際に起きた事故と実在の人物・長野政雄をモデルに書かれた小説だ。

汽車が塩狩峠を登る途中、信夫の乗った車両の連結部が外れて、逆方向へと下り始める。状況を理解した乗客たちはパニックにおちいる。そこで信夫はとっさにハンドブレーキを締め付けるも完全には効かない。意を決した彼はレールに身を投げ出した。そして汽車は彼を下敷きにしてようやく止まった……。

信夫が汽車に乗っていたのは、幾多の困難を乗り越えてようやく結ばれるふじ子との結納のため、というのがさらに悲劇性を強めている。機会があればぜひ読んでほしい小説だ。

信夫が亡くなったのは30歳で、29歳で殉職された高田技師に近い。事故が2月というのも同じでなんとなく思い出してしまった。

www.amazon.co.jp

アフィリエイトなどしてないです

 

三鷹から府中や調布の市街へ行こうとすると、基本的には野川を渡らなくてはいけない。野川に向かって標高は下がっていくため、長いくだり坂はいくつもある。

ただ、そのほとんどが元の傾斜を活かして作られた道路で、この坂のように地面を崖のように大きく切り開いて作った道路は他にはない。工事の過酷さがうかがえる。

その難工事に監督として挑み、悲しくも殉職された高田技師。その高田技師や工事に従事された多くの人々がいて今の生活がある、ということを忘れてはいけないと思う。

 

この慰霊碑をネットで検索しても数件のブログが軽くふれているのみで、Googleマップにスポット表示されるでもなく、ほとんど歴史に埋もれていると言っていい状況だ。

これを書いているのが2021年2月1日なので、偶然にも明日で殉職から55年。半世紀以上が経っているわけで仕方のないことではある。

でも僕にとってこの道は、調布飛行場味の素スタジアム、そして府中方面に行くときに必ず使う大切な道。そこで殉職された人がいるなら哀悼の意をささげたいし、こういう形で記録しておくのもまったく意味のないことでもないだろう。

 

みなさんが住む街にも開拓・発展の歴史があって、悲喜こもごも様々なエピソードがあることだろう。ときにはそういった郷土史に触れてみるのも良いかと思う。

 

END