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昭和の歌うま地味アイドル・高田みづえを推す!

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昭和の歌謡曲が好きで、とくに高田みづえが好きだ。アイドル歌謡にすこし詳しい人なら「なるほどね」「それもよくわかる」とうなづいてくれるはず。
だが、僕が生まれるまえにデビューした歌手だし知らない人も多い。そこで今回は、その魅力を存分に語ってみたい。

 

高田みづえってどんな人?

高田みづえは1960年、鹿児島の田舎に生まれ育った。歌は幼いころからうまく、いつしか歌手になることを夢見たみづえは、小学3年から中学3年まで新聞配達を続け、そのお金で歌のレッスンに通ったそうだ。

オーディション番組をきっかけに77年にアイドル歌手としてデビュー。85年に大相撲力士の若島津(現・二所ノ関親方)と結婚して芸能界引退。8年間の活動期間のあいだに7回の紅白歌合戦出場と、実はかなりすごい実績の持ち主だ。

そんな彼女の特徴は、小柄で純朴そうな可愛らしい見た目ながら、力強くのびやかで大人びた歌声。僕もまさにそこにグッと惹かれている。

 

百聞は一見に如かず。デビュー曲『硝子坂』を歌う姿を見てもらいたい。昭和であることを差し引いても突出した素朴さと、抜群の歌唱力がよく分かるはず。

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この「清純かつ地味」な雰囲気、グッとこないだろうか(たとえば有村架純新垣結衣は「清純かつ華やか」なタイプ)。僕はもういい歳なので「ヨシッ!」くらいの感情だが、中学生くらいのときにリアルタイムで見ていたら瞬殺されていたと思う。

ちなみに右に座っているのは、同期デビューの清水由貴子。この二人に榊原郁恵を加えた三人で「フレッシュ3人娘」と呼ばれていたそうだ。

 

■デビューした77年は音楽業界の変わり目だった

さて、そんなスペシャル純朴娘・高田みづえがデビューした77年は音楽業界的にはどんな時代だったのか? 他の歌手のデビュー時期と比べるとそれがすこし見えてくる。

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70年代アイドルと入れ替わるように、新しい波が訪れている時代なのがわかる

77年は、山口百恵キャンディーズ、ピンクレディらがそろって活躍するアイドル歌謡の黄金期だが、他ジャンルの音楽が芽吹く大変革の時期でもあった。

翌78年にはサザンオールスターズが、79年にはYMOが斬新な音楽をひっさげてデビュー。さらに80年代アイドルのTOP3である、松田聖子中森明菜小泉今日子もデビューし、次世代のアイドル像を作っていく。

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サザンにYMOに聖子・明菜・キョンキョン。新しい時代のスターたち

ニューミュージックやシティポップの波も押し寄せる。荒井由実松任谷由実)は74年に『やさしさに包まれたなら』、75年に『ルージュの伝言』を発表。78年にデビューの竹内まりやは、初期の代表曲『SEPTEMBER』を3rdシングルで発表。『CAT'S EYE』で有名な杏里も78年に『オリビアを聴きながら』でデビューを飾っている。

※リンクはいずれもYoutube荒井由実のみカバー版。

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今聴いても古さを感じさせない楽曲たち。ユーミンお洒落

そんな激動の時代にみづえは、恐らく当時としてもかなりシブい『硝子坂』でデビューをかざる。山口百恵の『イミテーション・ゴールド』やピンク・レディーの『UFO』などの"しびれる"楽曲が同じ年にリリースされている中で心配になる。

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同じ77年リリースとは思えないレコードジャケット

 

高田みづえはブレずに突き進む

だが、みづえは親しみやすいルックスと歌声で芸能界を生き抜いていく。『硝子坂』は31万枚を売り上げ、レコード大賞・新人賞やFNS歌謡祭・最優秀新人賞などを獲得し、紅白歌合戦への初出場をはたす。

続いてリリースされた『だけど…』『ビードロ恋細工』『花しぐれ』のいずれも昭和歌謡の醍醐味がぞんぶんに楽しめる。ぜひ堪能してみてほしい。

初期の楽曲で個人的にオススメしたいのは、7thシングル『女ともだち』(作詞・松本隆、作曲・筒美京平の黄金コンビ)。片想い相手の男性から女友達「真知子」のことが好きと告げられ、不本意ながらキューピッド役をつとめる女の子の歌だ。悲しい三角関係のこの歌にみづえはなぜか、前髪を短く切ったモンチッチ状態で挑む。

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時代もアイドルも華やかに明るくなっていく中で、こうやって素朴さに磨きをかけていく姿に我々ファンは「いいぞ、みづえ!」と声援を送りたくなるのだ。

 

■カバー曲で再ブレイク、そして大人の女性に

こうして独自路線を走り続けていくわけだが、レコードの売上は徐々に減り、79年は紅白歌合戦への出場を逃してしまう。このまま緩やかに落ち目になっていくのか? と思われた80年、ある一曲で再ブレイクを果たす。

それが、サザンオールスターズ桑田佳祐が作詞・作曲を手掛けた『私はピアノ』。元はサザンの原由子がアルバムで歌っていた曲で、他の歌手がシングル発売する予定だったのだが、紆余曲折あって高田みづえがカバーするに至ったそうだ。

 

哀愁ただようキャッチーなメロディにしっとりとした歌声がマッチしたこの曲は、50万枚近く売れ、最大のヒット曲となる。83年にも同じく原由子『そんなヒロシに騙されて』をカバーし、30万枚を超えるヒット。両曲ともに桑田佳祐の才能が遺憾なく発揮された、まさに昭和歌謡を代表する傑作だ。

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大人びてきたみづえ。左、どういう表情なのか……

ジャケット写真を見てもわかるが、純朴街道まっしぐらだった高田みづえ少しずつ大人びた雰囲気をまとうようになる。私はピアノ』を歌うこちらの映像で、髪型・メイク・衣装いずれも"お姉さん"になった姿が確認できる。『そんなヒロシに騙されて』では歌い出しで艶っぽいウインクを披露。モンチッチな時代を知る者としてもその成長はなんとも好もしく感じられる。

 

■結婚・引退へ……

カバー曲以外にも、谷村新司村下孝蔵さだまさし来生たかお松山千春ら早々たるアーティストからの楽曲提供を受け活躍してきた高田みづえ。歌手業以外にも8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』といったバラエティによくゲスト出演し、お茶の間の人気を博したそうだ。

そんなみづえだが、85年に同じ鹿児島出身の大相撲力士、若島津(現・二所ノ関親方)との婚約を発表し、芸能界を引退する。婚約と同時の引退宣言は、かわいがってくれた山口百恵を見習ったそうだ。

引退後は相撲部屋の女将さんとして奮闘する姿をたまにテレビで見かける。おしどり夫婦としても有名で、夫が2017年に倒れて入院した際には、かいがいしく寄り添う姿が話題になった。がんばり屋で一途なその姿は、我々ファンが思う高田みづえ像そのままだ。

 

■最後に

気がつけば長々書いてしまったが、魅力がすこしでも伝われば幸いだ。歌がうまく、独特のルックスを持ち、人柄もいい高田みづえを今後も推していきたい。

他にも、この記事に出てきた歌手やアーティストは多くの素敵な曲を持っている。そちらにも興味を持ってもらえたら嬉しい。

 

END