大うし展

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「これが売れなかったら終わり」が売れた歌手

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以前、ブログ記事を書くためC-C-Bについて調べていたら、代表曲『Romanticが止まらない』のWikipediaにこんなことが書かれていた。

 

「本作品でヒットに恵まれなかった場合はバンド解散も辞さない覚悟で臨んだ一作である」

 

へ~~そうだったのか……

もし解散していたら、個人的にすっかり気に入った『元気なブロークン・ハート』などの名曲も生まれなかった訳で、売れて良かったと心から思う。

それにしても『Romanticが止まらない』はまだ3枚目のシングル。素人感覚だとそれで解散は決断が早すぎる気もするが、色々な大人の事情もあるのだろう。

 

この話をきっかけに、他にも「これが売れなかったら終わり」からの大逆転アーティストがいないか気になりだした。1stシングルがいきなり売れたスターも魅力的だが、追い込まれた末に大逆転した人に、より感情移入するのが人情というもの。

調べてみたら、色々なアーティストの色々な大逆転があった。紹介してみよう。

※主にWikipediaを情報源としています。ミス等あればご指摘ください

 

シャ乱Q

まずは、『ズルい女』『いいわけ』などの大ヒットで知られるシャ乱Q。ボーカルのつんく♂モーニング娘。などのプロデュースでも大活躍したが、バンドが売れるまでには苦労があったようだ。

待望の初ヒットは4thシングル。哀愁あるメロディの名曲『上・京・物・語』だ。Wikipediaにはヒットに至った経緯がこう書かれている。

「デビューからなかなか売れず、契約をきられるかどうかの瀬戸際に放たれた4枚目のシングルにして勝負曲。当初はパッとしなかったものの、テレビ東京系「浅草橋ヤング洋品店」でタイアップに使われたこともあって、結果的に12万枚以上を売るヒットとなり、後の大成功を掴むきっかけとなった。」

www.youtube.com ※歌は1:45辺りから

後にシャ乱Qは、『浅草橋ヤング洋品店』のリニューアル番組『ASAYAN』で、モーニング娘。平家みちよのプロデュースで活動の幅を広げることになる。まさに飛躍のきっかけとなった曲と言える。

ちなみに、デビュー曲『18ヶ月』が92年7月22日リリースで、『上・京・物・語』が94年1月21日だから、偶然にも「18ヶ月」での初ヒットとなった。

サラリーマンで入社1年半というと、仕事も覚えてようやくこれからに期待という感じだが、音楽の世界だと契約打ち切りもある。才能で食べていく世界は本当に厳しい。

 

大黒摩季 

あなただけ見つめてる』『ら・ら・ら』などのヒット曲を持つ、90年代を代表する女性歌手の大黒摩季も大逆転歌手。そもそも、事務所のオーディション合格後に数年の下積みを経験した苦労人だそうだ。

その下積みがむくわれて、2ndシングル『DA・KA・RA』が早々にミリオンヒットを記録するのだが、実はこの曲は順調にリリースされた曲ではなかった。Wikipediaから引用しよう。

「当初はデビューシングルの売上不振のため事務所からスタジオコーラスに戻るように言われ大黒摩季のレコーディングチームが解散となったところへ個人的にお世話になっていた人物により「明日の昼までにCM曲を頼みたい」と依頼された。そこで同期のアシスタントやアレンジャーに無理を言って手伝ってもらい、一夜で完成させた結果、CM曲として採用された。ここまでは事務所を通しておらず、CMのオンエアが始まったと同時にビーイングに問い合わせが相次ぎ「お前は勝手に何をやってるんだ」と怒られたエピソードがある。」

www.youtube.com

展開が無茶苦茶すぎるが、とにかくピンチを乗り越えて大ヒットをつかんだのは事実。それにしても、デビューシングルが売れなかったくらいでコーラスに戻すとは厳しすぎる。拾うからには数曲は見守ってほしいものだ……。

 

エレファントカシマシ

今も第一線で躍動し続ける「エレカシ」も苦労人だ。

デビューからの約6年間でリリースしたシングル9枚、アルバム7枚がいずれも売れずに契約を切られてしまう。7枚目のアルバム『東京の空』は、「これが売れなかったら終わり」で売れなかったのだ。

リリースから契約打ち切りまでの流れがWikipediaの「来歴」にはこう書かれている。

「バンド初となるプロモーション・ビデオを制作するなど宣伝活動にも力を入れたが、これを最後にエピック・ソニーとの契約を打ち切られる。その後しばらく存続していた所属事務所「双啓舎」も、レコード会社数社から新たな契約の打診があった矢先、解散となる。」

しかし、業界内に彼らを高く評価する人も多く、その人たちの助けもあって10thシングル『悲しみの果て』のリリースにこぎつける。この曲のスマッシュヒットがなければ『今宵の月のように』『風に吹かれて』といった代表曲・名曲は生まれなかったかもしれない。

売れるまでのこの泥臭さというか、紆余曲折あってようやく日の目を見る展開はエレカシらしい気もする。

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売れるまでの苦労を知った上で『悲しみの果て』を聴くと、タイトルや歌詞の意味もまた印象が変わってくる。

 

平井堅

息の長い活躍を続けるアーティスト、平井堅も引退をかけたリリースを経験している。

デビューシングル『Precious Junk』のオリコン50位を最高位として、その後数年間は売れない期間が続く。そして、8thシングル『楽園』でようやく大ヒットをつかむのだが、Wikipedia内の「略歴」にその経緯が書かれている。

「2000年、これが売れなければ契約打ち切りという背水の陣でリリースした8枚目のシングル「楽園」のテレビCMに同じ研音所属の江角マキコが出演した(平井本人からの依頼を受けたもの)ことで問い合わせが殺到し、スポーツ新聞・ワイドショーなどに大きく取り上げられた。」

平井堅本人の依頼で江角マキコがCM出演したというのが面白い。もちろん曲が良いことは前提条件だが、こういう注目のされかたもあるのか。

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それにしても、契約を切られるかもしれない状況というのは、「あなたの歌に価値があるとは思えない」と言われながら歌っているようなものでは……?

そんな状況で初めてのヒット曲を出すのはどういう気持ちなのだろう? 嬉しさ、誇らしさはもちろんあるだろうが、レコード会社の手のひら返しを見たら人間不信になりそうだ。

 

大事MANブラザーズバンド

とにかく『それが大事』の大ヒットで記憶されるバンドだが、まさにこの曲が「これが売れなかったら終わり」の曲だ。Wikipediaの「来歴」にこう書かれている。

「デビュー以降アルバム1枚とシングル2枚をリリースするが、ヒットに繋がらなかった。そんな中、所属事務所から「次の作品でヒットを出せなければ危ない」と解雇をほのめかされ、背水の陣で制作した「それが大事」を発表する。」

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3rdシングルが起死回生の代表曲になったという点はC-C-Bと共通している。ただ、C-C-Bはその後もヒット曲に恵まれたが、大事MANブラザーズバンドはヒットと言えるほどの作品は出せなかった。

だが例えば、8thシングル『賽は投げられた』はNHKのアニメ『ポコニャン』のOPに採用された佳曲。「なぜこの曲がポコニャンに……?」と誰もが疑問に思う歌詞と、サビに向かって盛り上がるボーカル・立川氏のシャウトも味がある。

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改めて言うことでもないが、売れてなくたって良い曲はたくさんあるのだ。

 

ウルフルズ

『ガッツだぜ!!』『バンザイ~好きでよかった~』などの色褪せない名曲をいくつも持つウルフルズも、売れるまでには苦労を重ねた。

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デビュー2年目で早くも契約打ち切りの危機を迎えたそうで、2ndシングル『マカマカBUNBUN』のWikipediaにはこんなことが書かれている(売れなそうな曲名だ……)。

「当時、ウルフルズはデビュー翌年にもかかわらず、セールスの低迷でレコード会社をクビになる寸前状態になっていた。これを危惧した事務所側はタイアップや諸々の事情を理由にバンド側に本シングル・次作「世の中ワンダフル」のリリースを要請した。

しかし、このバンドの意志に沿わないリリースにメンバーは納得がいかず、松本は歌詞の作成を要請された際「歌いたくない言うてるのに、歌詞書けとは何事や!」と激怒。代わりにウルフルケイスケが歌詞を書いた。歌詞が完成し、レコーディングが開始されたが、松本はどうしても歌えずに、ヘッドホンをしたままその場にしゃがみ込むという、極度のスランプに陥った。」

まだ1stシングルを出しただけだというのになかなか辛い。ちなみに、『マカマカBUNBUN』も『世の中ワンダフル』もまったく売れなかった。その後もしばらく売れない。

なので、この記事の趣旨とはズレるのだが、これで契約打ち切りにならないウルフルズの面白さを紹介したかった。レコード会社も、意に沿わない歌を歌わせて契約を切るのは悪いと思ったのかもしれない。

この次にリリースした4thシングル『借金大王』は、トータス松本やメンバーの魅力にあふれており、レコード会社に「もう少しやらせてみるか……」と思わせるに十分なパワーがある。『ガッツだぜ!!』が世を席巻するのは、ここからさらに1年半ほど先の話だ。

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そういえば、シャ乱Qウルフルズも大阪出身で、デビューも同じ1992年。初期は若干「イロモノ」の香りがしていたのも共通している。これは想像だが、当時の音楽業界はこういったアクの強いバンドに理解が薄かったのかもしれない。

そういった境遇に負けずに両バンドが売れたのは、日本の音楽史的にも本当に良かった。

 

Something ELse

30~40代の人が「ああ、そんなバンドいたね!!」と反応するバンド名かもしれない。この「サムエル」はこの記事で紹介してきたアーティストの中でも、特殊な売れ方をしたバンドだ。

1996年のデビューから約2年後にリリースした6thシングル、その名もまさに『ラストチャンス』で初ヒットをつかむわけだが、そこには以下のような経緯がある。

「Something ELseは1998年秋までに5枚のシングル、1枚のアルバムを発表するが、どれもがヒットに恵まれず、レコード会社、所属事務所と契約切れ寸前の“崖っぷちバンド”であった。

そんな折、日本テレビの当時の人気番組「電波少年」の企画に抜擢される。3ヶ月間、3人で1つの部屋にこもって曲を作り、その曲を次のシングルとしてリリースを約束する代わりに、そのシングルがオリコン初登場20位以内に入らなければバンドを解散・音楽以外の職種に転職しなければならないというものだ。メンバーはスタッフの方針に不信感を募らせるが、「自分達の音楽がいかなるものなのか、答えを知りたい」と企画参戦を決意。」

この共同生活の末に生まれた『ラストチャンス』は初登場2位となり(最終的にミリオン超え)、バンドは解散をまぬがれる。

自分たちの境遇と最後のチャンスに掛ける想いをストレートに歌ったこの曲は、バラエティ番組の横暴さとは無関係に良い曲だ。同じく共同生活中に作られたという『さよならじゃない』も真っすぐな歌詞とバンドサウンドがしみる。

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JUJU

実力派女性シンガーとして人気の高いJUJUも、売れようともがいた過去がある。

マチュア時代にニューヨークで鍛えあげた歌唱力を評価され、2003年にはソニー・ミュージックと「アルバム7枚を出す契約」を結ぶ。シングル数枚出すのも大変なアーティストが多い中で、これは破格の契約だろう。

ところが、周囲の期待とは裏腹にデビューシングル『光の中へ』が思ったように売れず、予定が大きく変わる。以降2年間は曲をリリースせず、模索の日々が続いたそうだ。

そしてようやく、ヒット曲『奇跡を望むなら』が生まれる。Wikipediaから経緯の一部を引用しよう。

「2006年11月、「これがダメだったらもう後はない」と本人もスタッフも一致団結して背水の陣で制作・リリースした3rdシングル「奇跡を望むなら...」がUSEN総合チャートに22週連続チャートイン、2007年USEN年間総合チャート1位を記録するヒットとなった。」

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ちなみにJUJUは、別の理由で契約打ち切りを言い出されたこともある。

2003年、プロデューサーと所属レコード会社のスタッフから「今後は禁煙しなければ契約を打ち切る」と指摘されたそうだ。

まぁ、僕がプロデューサーの立場だとしても「歌も売れてないのに、喉に悪いタバコなんか吸ってんなよな」と思うかもしれない(売れたらなお吸って欲しくない)。

なお、禁煙に成功し、歌声に好影響があったとのこと。めでたしめでたし。

  

まとめ

大逆転の形にもいろいろあり、調べていてとても面白かった。後にヒット曲を多く出すアーティストでも、デビューから数曲以内で契約打ち切りのピンチを迎えてしまうケースがこんなにあるとは……。

 

ちなみに、他にも大逆転アーティストはいるので簡単に紹介しておく。

ゴスペラーズは、レコード会社の制作部長に「このままの売り上げでは次のアルバムが最後」と言われる中で作った、14thシングル『永遠に』(と、この曲を収録したアルバム『Soul Serenade』)が売れて契約がつながる。

木蘭の涙』などの名曲で知られるスターダストレビューは、5thシングル『夢伝説』のヒットで知名度を上げた。「このヒットがなければバンドは終わっていた」とボーカルの根本要は冗談交じりに語っている。

70年代から活動を続けるチューリップは、背水の陣で3rdシングル『心の旅』をリリースし、発売から5ヶ月でオリコン1位を獲得した。言わずと知れた、世代を超えて長く聴かれる名曲だ。

演歌界の大御所・五木ひろしは、初のヒット曲『よこはま・たそがれ』を出すまでに10枚のシングルを出し、数回の改名をしたという超苦労人。最近では聞かないタイプのエピソードだ。

 

他にもいると思うので、気になった方は調べてみよう。僕が調べた限りでは、不思議と2000年以降はあまり大逆転がみられなかった。CDが売れなくなり、多様性の時代に入ったことで、アーティストをとりまく環境もまた色々と変わったのだろうか……?

それにしても、こうしてヒット曲を生み出せたアーティストの影には、これといったヒット曲がないまま契約を切られていったアーティストが無数にいる。そちらも気になるのでいつか調べてみたい(情報が少なくて難しそうだが……)。

 

END