僕がいかにして犬嫌いになったか その①
僕は犬が苦手だ。
今はだいぶマシになったのだが、成人するくらいまでは小型犬にすら怖くて近寄れなかった。今回はそうなるに至ったエピソード2つのうち、最初のものを紹介したい。
6歳児の日常にせまる危機
あれは6歳のころの話。
今は大きなマンションになってしまったが、そのころ実家の向かいにはパチンコ屋の駐車場が広がっていた。地方都市の流行らないパチンコ屋で車はいつもまばら。車が近づけば敷かれた砂利がジャジャジャと音がして危険もほとんどない。子供が遊ぶにはうってつけの場所だった。
あの日もその駐車場で、僕と姉と弟は戦隊ヒーローごっこをしていた。もちろん僕は主役でカッコいいレッド。姉はヒロインのピンク。敵役は弟に押しつけた。戦いは佳境をむかえ、レッドの必殺技がうなりをあげる。
「ウルトラブースターアタ~~ック!!」
おおげさな必殺技はいつものように弟に炸裂。おおげさに倒れ、やられたフリをする弟の姿もいつもどおり。
「これで、ちきゅうのへいわは……」
被ってもいないヒーローヘルメットを脱ぎ、恍惚の表情で汗をぬぐうおバカなヒーロー。このときの僕にもう少し周囲を見る余裕があったなら……と思うが、この決めゼリフを言うために戦っているような6歳児にはやはり難しい。
逃げろ! 戦隊レッド
そのとき僕の視界に、後ずさりする姉と弟が映った。「ん?」とは思ったが、大事なセリフを途中でやめるわけにもいかない。ところが、「……まもられた」と言い終わるころには二人は青ざめた顔で走り出している。
さすがにそうなるとボンヤリ笑っているわけにはいかない。二人の視線の先を見ると、大きな黒い犬がこちらに駆けてくるではないか。
この犬は実家の隣の家で飼っているドーベルマン。いつもは門の向こうをウロウロしていてあまり気に留めたこともなかった。だが、こうして自分たちに全力で向かってくる黒い姿を見ると恐ろしいことこの上ない。テレビで観る悪役のなんと可愛いことか。
もちろん僕も、声にならない声をあげて姉と弟を追った。そんな僕の姿がさらにドーベルマンを刺激したのか、低い唸り声をあげて猛烈に向かってくる。その牙のターゲットは最後尾を走る僕に自然と定まったようだった。
脚力差を考えるとすぐに追いつかれそうなものだが、パニックでドタバタと走る僕の足がボクシングのジャブのように牽制するのか、ドーベルマンはなかなか決定打を打てない。
とはいえ、振り向けばすぐ後ろに吠え狂う大型犬。6歳児には過酷すぎるシチュエーションだ。もしもタイムスリップできるなら、このときの泣きじゃくる僕をまっさきに助けてあげたい。犬には悪いが、グーで殴りつけてすぐ現代に戻りたいくらい未だに憎い。
そういえば姉と弟は!? 周囲をサッと見渡すと、二人はいつのまにか実家の門の向こう側にいて、僕とドーベルマンの追いかけっこをジッと見ているではないか。そのパーフェクト傍観フェイスが「門を開けるわけにはいかぬ」と語っている。終わった。
バカな僕にもわかった。人生最大の危機が迫っているということが。それも物理的に迫っている。ガウガウと吠えながら迫っている。
駐車場を何周も走り、さすがに走る速度が遅くなる僕。それを見逃す敵ではない。ドーベルマンは「ヴワン!!」とひときわ大きな声で吠えると、疲れを知らない後ろ足でジャンプをし、汚れを知らない6歳児の尻に噛みついた――――
その後
噛まれたあとの記憶は残っていない。
お尻に噛みついたドーベルマンがどういう経緯で繋がれていったのか想像もつかないが、パトカーや救急車がくることもなく、大事にはならなかったようだ。
姉や弟との関係が悪くなることもなく、隣の家とも良好な近所つきあいが続いた。しかし僕だけはときおり、ガチャガチャなどで手に入れたゴム玩具を数ミリに小さくちぎっては、門越しにドーベルマンに投げつけていた。
動物愛護団体が怒りだしそうな話だが、幼い子供が心に負った傷は深く、そうでもしてストレスを発散しないと平静でいられなかったのだろう。どうか許してほしい。
鼻先にゴムを当てられたドーベルマンは、恨みなど知らぬといった涼しい顔で庭の奥へとゆっくり歩いていった。あの日の獰猛な姿は本当になんだったのだろう……?
当たり前の話だが、この日を境に僕は犬が苦手となる。
「犬にお尻を噛まれる」というマンガのような体験は人に話せば笑いを生んだが、散歩中の穏やかな犬にも距離を取るようになり、道幅よりも長いようなリードを犬につけた飼い主を親の仇のように睨みつけた。
そしてこの後、犬嫌いを決定的にする事件に遭遇する。
その「白犬黒犬同時追っかけ事件」についてはまたいずれ。
END